今年秋の個展に向けて、可能な範囲で過去の写真を現在使用しているパソコンで確認したくて、手を尽くしたり、財布を軽くしたりしている。
現状で取り出せた画像データを見返していると、「技術的に未熟であることはしょうがないけれど、もっと撮れたのでは?」と、最初は思った。

フォルダーをリネームするために、ひとつひとつフォルダーを開けていくと、「いや?撮れてる写真もある……」と思い始めた。
10~15年前に撮影した画像で今見たかった写真は、自分の前に在った風景(見ていたというより、ただ在った風景)を今見たい、という欲のようだ。

思い出のド真ん中とでもいうか、当時関わりの会った人々の写真は、今見られるうれしさもあるが、今見ると胸が苦しくなる写真でもある。もう会えない人も写っているから、かもしれない。

「写真とは」と、主語を大きくしたくはないが、今の自分が見たい過去の写真が撮れているなら、当時の自分は十分写真を撮れていた、と言える。
今まで、自分の写真に対する足りなさを、なんとかゼロにしたいと思ってきたけれど、もう既に足りていたならば、この程度の写真ではあるけれど、初めて過去の自分の写真に感謝できる気がする。
